障害者として活きる

株式会社A-Run

代表取締役 齋 藤  康 生

 私(齋藤)は人生の途中で、身体(視覚)障害者となりました。また腰椎疾患の後遺症で、左下肢の脱力などが現れ、杖歩行が必要になりました。

 視力に関しては、見えていることが当たり前だった日常が当たり前ではなくなり、生活面や就労面すべてのことに対して自信を失った思いでした。

また左下肢の脱力では、杖がないと、いつどこで転倒するか予測不能となってしまいました。

 大好きだった車の運転も諦めました(運転免許証返納)。憧れだった輸入車を購入し、「さあ、趣味のドライブやスキー、釣りにもいっぱい出かけるぞ!」と思っていた矢先の出来事でした。道路標識や信号、1台前の車両ナンバー認識、段差や路面変化もわかりません。メガネやコンタクトレンズの度数を何度も変えて試したり、眼内レンズ装着の手術も受けましたが結果は同じ・・・。視力が回復することはありませんでした。仕事でパソコンや書類を扱うことが多いのですが、1時間も作業すれば眼精疲労に苛まれます。

 最初は「ショック」で何も考えたくなくなり、これはウソだ! 現実ではない、といった「否認」の時期から、現実を徐々に受け入れながらも「混乱」する時期を経て、「適応への努力」の時期、そして「適応」へと進んでいきました。しかし、実際にはこれらは一方通行の単純なプロセスではなく、各段階を行ったり来たりしながら徐々に適応へと進んでいくものだと考えます。一般的には障害の受容は簡単なものではないと思います。

 しかし私は、障害者認定を受ける以前(2013年)から、職業として障害福祉サービス(就労移行支援事業)を利用される方々への直接支援に携わっていました。その彼らから勇気をもらっていた私にとって、私自身の障害理解や受容は、きっとそれほど大変なものではなかった気がしています。身近に障害をもつ利用者という仲間がいたという考えが、この状況を表すのには非常に妥当だと感じています。

 自動車の運転は諦めましたが、趣味のスキーや筋トレ&有酸素運動(エアロビクスなどのスポーツクラブ通い)は以前より行く回数が増えました。スキーはアウトリガーというマテリアル(道具)を活用しバランスをとり滑走しています。多いシーズンでは20回以上スキー場に連れて行ってもらっています。スポーツジム通いでは、132kgあった体重が、楽しみながら98kgまで減量することができています。じつに34kg減った計算になります。

 障害のある身体や暮らしへの適応のキッカケがうまく見つけることができれば、案外早く切り替えができ、前を向いて生(活)きていくことができると実感しています。家族・仲間の支えや将来の具体的なビジョンを持つことが重要だと思います。

私はこの度、素敵な仲間に支えられながら、株式会社A-Run(アラン)を立ち上げました。ここでは就労移行支援事業(来年度以降は、就労定着支援事業)を展開していきます。私の素敵な仲間たちは、各々にキャリアがある就労移行支援・就労定着支援のスペシャリストです。

彼らの力を余すことなく活用し、私を含めた就労移行A-Runは、相談支援事業所や医療・教育・就労関連の各種機関と連携しながら、一般の企業で就職・定着を目指す方々の力になりたいと決意し弊社を立ち上げました。

*** おねがい ***

私をどこかで見かけた方、私と視線が合った方、忘れずあなたからお声をかけてください。

私にはあなたのお顔が見えません。

よくこれで欠礼してしまいます。